ゲームコーナー東部の思い出②
前回記事にたくさんのイイネありがとうございます。
嬉しいもんで気が乗ったので、このまま書き進めることにし ます。
何度も言いますが分かりづらい文章&記憶で書いてます。
事実と異なることもあったらお許しください。
あと読み返したら前回の倍くらいの量になりました。許してちょ。
で更に、この辺から書きたいことが増えちゃってまとまりのない文にならな いように【】でミニタイトルをつけることにしました。
ってなわけではじまりはじまり。
~~2012年春から冬くらい~~
【ニコ生でのエンバト配信に入り浸った】
大学も春休みに突入しPS3でPP4000くらいになって浮かれていた。
この頃には自宅でスカイプをしながらネット対戦、暇があればゲーセンと言うヤバい生活だった。
東部の話に触れる前に、僕の家ゲー環境を支えたニコニコ生放送について少し書きます。
当時のニコ生には、スト4のエンバト配信が流行しており僕もそのうちの一つに入り浸っていた。
「ゲーム友達、たくさんつくるぞ!」 という安直な名前のコミュニティ。
ここは比較的ナイスミドルな年齢の方々が集まっており、浅チャプながらも楽しくプレイをしていた。
コミュニティトップ画はサガットなのに生主は生粋のリュウ使いとかいう謎の集団だった。
そこで出会った生主たいかんさんを始め、麻さん、真島さん、 ハンゾー、乱丸さん、いっくん、たむさん、 コーンさんとかとエンバトしたり麻雀をしたり夜通しスカイプで駄 弁ったりした。
「趣味で知り合うと年齢ってあんまり関係なく話せるんだなぁ、ゲームっていいな。」
と思えることが出来たこのコミュには感謝している。
※クソ馬鹿アドン使いと、クソかりんプリンローズはあえて紹介を割愛する。
【タイステ東口店閉店からの民族大移動】
一方、タイステ東口店は都市開発の影響で無くなった。
仙台スト4勢はゲーム エプリというゲーセンに出入りするようになった。
そこで僕はバイト出勤時間ギリの21時半ごろまで、週3日の頻度で遊ぶようになった。
その頃には友人も増え、「 ゲーセンに行ったら友達が誰かしらいる」といった状況だった。
この頃は対戦より「友達と遊ぶ」 という目的の為にゲーセンに通っていた。
エプリの環境は良く、平日でも人は数人は筺体の周りにいた。
水曜日になると100円2クレにしてくれたので、 筺体の周りには多くて10人以上が群がっていた。
よって対戦相手に困ることはなかった。
あとゲーセンあがりのプロゲーマーが配信でよく言うように、置いてあるゲームはとりあえず100円を入れた。
やったことのないゲームでも、スト4勢に誰かしら経験者が居たから楽しかったのだ。
例えばメタルスラッグをやりたいと言えば、バイソン使いの強面バイカー兄ちゃんが100円で全クリアするのを見せてくれた。
いろいろやった挙句、最終的に自分は音ゲーを並行して遊んでいた。
スト4筺体のすぐそばだし、というのは建て前で本音は「 音ゲーはモテる」という噂を鵜呑みにし、 眼帯を付けたゴスロリメンヘラガールとの濃厚オフpkを期待してだ。
しかしそんなことは全く無く無残に100円玉が吸われていくだけだった。
エプリが閉まるとお店の裏の自販機の前で30分くらい皆で煙草を吸いながら駄弁った。
内容は
「あいつがマスター行きそうだからBP吸おうぜ」
とか
「 あいつは最後の最後はジャガートゥースで甘えてくる」とか
そんなくだらない話だ。
僕はこの時間がたまらなく好きだった。
何故かわからないけど、謎の安堵感があった。
多分、 ゲームなんぞに没頭するアホな奴が自分以外にいることに安心したんだと思う。
【格ゲー勢と飲むお酒】
エプリ閉店後は皆で飲みに行ったりもした。
仙台市名掛町の居酒屋はほぼ制覇した気がする。
ゲームセンターに通っている連中は、基本的にクソの吐きだめのような思考だった。
だから一緒にお酒を飲むのはやたら楽しかった。
なにせ「ムカつくから」 という短絡的な理由で100円をポンポン投げ捨てる人種なので、 気持ちのよい考えの持った奴らが多かった。
「金は心配するなよ借りてきたから!」 みたいなのスタンスの奴らと飲む酒はマジで美味しかった。
「今日、 長期出張から帰ってきたから今この場でいる奴ら全員で焼肉行こう !俺が全部出すよ!」
とか売れっ子芸人みたいなことをしてくれる人もいた。
あとシャドー君という、 生きるレジェンド的なチンピラと飲みに行くと無限に面白いことが 起きた。
飲み会のエピソードを離すと長くなるのでこの辺にする。
要はゲーマー同士で飲む酒の美味さを覚えたのもこの頃だった。
【心の師匠との出会い】
僕が敬愛する師の一人である、 チラベルト氏(仮名)にもエプリで出会った。
彼はエプリの近くのエフワンというゲームセンターを根城にするギ ルティ勢、強豪スレイヤー使いでスト4は遊びでプレイする程度。
が、時折見せる読みの鋭さで「当たったら面白いだろ?」 という行動を通してきた。
1Rで2回、ハオッ!して勝とうとしたりね。たわけてる。
そんな彼の「 ゲームは楽しくやるもんだ。」 を背中で語るプレイスタイルは衝撃だった。
この頃は「めっちゃ楽しそうにゲームする人いるなぁ」 くらいにしか思っていなかった。
が、 後にギルティを触り始めてからチラベルト氏の本当の強さとヤバさを知り衝撃を受け、師と崇めるようになった。
この人は自分にとって、ウメちゃん漫画で言うところのオゴウさんのような存在だ。
この人はゲーセンでは「遊びじゃねえか、楽しくやろうぜ。」 のスタイルを崩さなかった。
迷いのない(ヤバい) 行動で対戦相手の思考を破壊してはゲラゲラと笑っていた。
その考えは今の自分にも大きく反映されている気がする。
まぁ、 師匠がブチ切れてたりする場面も多く見たがその辺は割愛する。
あと腐れ縁になった同い年のさくら使いともこのゲーセンで出会った。
が、 俺のスト4さくらへのヘイトは既にカンストしているので合わせて 割愛する。
さくら死ね。
さくら死ね。
さくら死ね。
【いざ東部へ】
そんなこんなでモチベも高かったので「いっちょやってみっか」 とゲームコーナー東部へ原付を走らせた。
片道30分はかかる国道4号線をRage against the machineを聞きながら走った。
やっとの思いで到着したゲームコーナー東部は凄い場所だった。
まず入り口がこれである。
そして店内の内装が「ここはカジノか? 」と思うくらい華やか。
ゲームコーナー東部は5階建てのビルで1Fがパチンコ屋さんだ。
ここで東部の各階と設備の説明をする。
2Fはメダルゲームコーナー、 3Fは麻雀格闘倶楽部やマジアカや戦国等のオンラインゲーム、 4Fは格闘ゲームを中心に対戦アーケードゲーム、 5Fはメダルゲームだった。
特に入り浸っていた4Fは異様な空間だった。
特に人が多いのはスト4、ガンダム、 鉄拳だった。
この3タイトルの近くにはギャラリーが座るようのソファが何個か設置されており、灰皿も無限に設置されていた。
どのゲームの近くには紐で繋がれたムックが置かれており、スト4も例外なくあった。
あと歩いて2分くらいの場所にコンビニもあった。
スト4の近くには何故かテーブルも置いてあった。
なので人が多い日は 100円で打ってる2L入りの「ホワイトウォーター」 みたいな謎飲料パックジュースでテーブルが溢れかえっていた。
あと併設された立体駐車場はほぼ24時間、解放状態だった。
RFに止まっているヤン車が意味深に端の方に止まっていて、よく見たら車体がめっちゃ揺れてるみたいなこともあったらしい。 ガン突きすな。
神 環 境
まさにこの言葉がピッタリだと思った。
【東部の客層】
東部の客層はこの頃は少し特殊だった。
卸町という油臭い工業地帯の真ん中にそびえ立つこのゲーセンには 、街中より強面な面々が多かった。
基本的に車がないと来れないくらい町はずれな立地なので、17 時以降になると20歳以下くらいの子は先ず見なかった。
( ピンクおやじ本田を除く)
要は移動手段がないと来れない場所だったので平均年齢が高かった 。
特に鉄拳勢には怖そうな人が多かった。
金髪タンクトップやニッカポッカを私服にしちゃうような、マジで怖い兄ちゃん姉ちゃんがいっぱいいた。
でも強面の見た目とは裏腹に、鉄拳勢は仲睦まじげに見えた。
強面の面々が楽しそうにゲームに没頭する異空間は何とも言えない魅力があった。
そんな鉄拳勢にやたらと大騒ぎする背の高い男が居た。
後にマイメンになるニッタケという男だが、 彼との話はまたそのうち書くとする。
余談だが、 ヤンキー姉ちゃんが咥え煙草でザフィーナとか使うのを見ると妙に興奮した。
【東部のスト4】
そしてスト4コーナーはと言うと、ここも街中のゲーセンとは違う雰囲気だった。
まず「ザコお断り」みたいな雰囲気があった。
今思えば、 夕方くらいはそんな雰囲気はないのだが閉店間際はマスターで一番ポイント低いみたいな状態だった。
まぁ、車がないと行けないゲーセンに初心者が来る訳ないよな。
駅前だと家庭用専勢がちょこちょこ遊んでいたりしたが東部で見ることはほぼ無かった。
東部の集客は非常に良く対戦相手に困ることはほとんどなかった。
だって100円2クレなんだもん。
週末は人が特に多く、夕方17時を過ぎれば5人くらいは絶対居た。
通い出した頃にはマッドキャッツのTシャツを着た兄ちゃんを何度か見た。
それを見てガチ勢の場所だわ、と思ったことを今でも覚えている。
東部の稼働台数は4台で赤ビュー1セット、青ビュー1セット。
赤ビューは遅延が少なく猛者専用台みたいな雰囲気だった。
なのでパンピーだった自分はずっと青ビューでプレイしていた( 最初は)。
週末になると東部には他県からの遠征勢がたくさん来た。
東部は、 仙台東ICという高速道路の降り口から車で3分という神立地でも あった。
月に1回か2回、水曜くらいに「したらば宮城スト4板」 みたいなのに
「栃木勢6人で週末に行きます」
みたいな書き込みを見ると宮城スト4勢は東部に集まった。
移動手段は原付で無理矢理行ったり、 友達の車に乗り合わせて東部へ向かったりもした。
10km近く離れた道のりをキックボードで移動して遠征勢を迎撃しに来たコーディー使いも居た。
遠征に来た県外勢の人は口を揃えて「凄く良い環境ですね」 と言ってくれていた記憶がある。多分。
そんなこんなで東部通いは更に加速した。
【パーンッ!!!!!】
あと、宮城スト4勢には謎の文化があった。
ウルコンでリーサルされると筺体の周りにいる奴ら全員でKOの表 示と共に手を叩くのだ。
こんな感じで。
この通称「パーンッ!!!」の歴史を語ると長い。
が、
B様という伝説の初狩りおじさんがいたことはここに記録しておく 。
ある意味、宮城スト4界の仙台四朗的な存在である。
ちなみにパーンッ!!をやり過ぎて店員に注意された。
男8人くらいでせーので手を叩くわけなのでそらフロア中に響き渡 るわな。
ほぼ無法地帯と化している東部の店員に注意されるのは超珍しい。
「手を叩く行為を行うのはおやめ下さい」
という「パーンッ!!!」 を禁止する為だけに特製で作られた注意書きシールは今もウル4筺 体に貼られていると思う。
【ルーファス使いとの出会い】
そして、東部でも良い出会いがあった。
Mさんというルーファス使いのおにーさんに出会うことが出来たのだ。
何気に仙台で初めてルーファスを使っている人を見たのでとたも緊張した。しかも強い。そして怖い(見た目が)。
Mさんはガルフィ― のジャージを上下に着た強面の兄さんだったが非常にプレイが丁寧で、キャラ対策の重要性を僕に教えてくれた。
「1試合を丸っと憶えているのは難しい。 だからせめてリーサルでされたことを携帯のメモ帳書く、 そんでたまに見直すんだよ。」
という一言は未だに覚えているし守っている(つもり)。
そして僕はエプリと東部を行き来するようになった。
本当にやる気のある日は16時~21時エプリ、 21時から東部に移動してスト4なんて日もあった。
強くなる為にとXbox360も購入した。
大学4年生の時は単位も取り終え、 就活もサクッと終わらせていたのでスト4ばかりやっていた気がする。
強かったかどうかは置いといて。
ちなみに就職先も、東部の近辺で探した。
何故かって?
東 部 の 近 く に 住 む 為 で あ る
長くなってきたのでこの辺でやめます。
今日で休みも終わるし次書くのはいつになることやら。
でもこの辺の思い出が一番多くて濃いから長くなりそうなので、 このミニタイトルすたいるは当面続けます。
次は
【仙台周辺のゲーセン事情】
【 社会人になってから東部との付き合い方】
【遠征に行った話】
【スターティングオーバー】
とかこんな感じの内容にします。
忘れないようにここにメモしておきます。